天野工務店

天野工務店

天野のルーツ

日本建築の魅力を海外で再認識。

私は3代続く工務店の息子として1975年に生を受けました。ものごころついた頃から自宅の横にある工房で遊ぶのが常で、職人たちが刻む木の香りに包まれて育ってきました。当時の日本では木造の和風住宅が主流で、私の父親もご多分に漏れず、昔ながらの手刻みで仕上げる和風住宅を得意としていました。私は子ども時代から建築に興味がありましたが、和風住宅を建てることにはなぜか強い反発心を抱いていました。
そんな時、スノーボードのプロを目指し海外へ行ったことが大きな転機になりました。
もう1つの目的は、日本建築以外の建築学を学ぶことでした。
しかし、実際の講義内容は私の予想だにしないものでした。なぜなら、世界に名だたる建築様式の中でも、日本の建築様式の代表格である「数奇屋造り」が特にリスペクトされていたからです。海外の視点から日本建築を客観的に学び直したとき、私はその奥深さや美しさ、性能の高さなどをあらためて思い知らされ、深い感銘を受けました。

『天野工務店』の現場で、原点回帰。

その後、スノーボーダーとしての夢を諦め、実家に戻ることになりました。帰郷後、幼い頃から慣れ親しんだ工房で職人達の仕事ぶりを久しぶりに目の当たりにしたとき、私にはそれがこれまでとはまったく異なる世界に見えました。材の管理、木の目利き、刻み加工、現場での組み立てまでひとつとして手を抜かず、1棟1棟精魂込めて最後まで責任施工を遂行するその姿に、匠の真髄を見た想いがしたのです。
それからは「自分もいつかは一流の家づくりに挑もう」という抱負を胸に抱きつつ、先輩方の背中を見ながら、ひたすら大工職人の修業に励みました。

数奇屋造りへの挑戦。

大工職人としての道を歩み始めて5年が過ぎ、いよいよ協力会社様のご紹介で1棟をまるごと任される時がきました。その家は工期が約1年半の大型物件で、設計から施工、管理まですべて私自身が担いました。しつらえにおいて私が特にこだわったのは、自然の材を上手に使いこなすことです。
木の存在感を誇張しすぎず、あたかもごく自然にそこに存在しているかのような意匠にしようと、材のバランスには特に留意しました。そして、木(気)をつかい、木(気)を組み行って、日本建築の世界観である「侘び」を追求することに専心しました。 持ちうる限りの能力を尽くして最上の家づくりに取り組んだ結果、ようやく家が完成した際には、感謝と感動と達成感で涙が止まりませんでした。

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